秀岳会OB掲示板

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秀岳会OB掲示板へようこそ [設置人] 元秀岳会代表 石川栄一
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YouTubeに「愛のコンチェルト」を掲載しました。 - 石川栄一

2018/02/22 (Thu) 23:11:27

ちょっとしたユーモアです。
評価を頂けたら嬉しく思います。

■「愛のコンチェルト」YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e88aHXhrxQo
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◆ making by Eiichi Ishikawa
◆ music by Richard Clayderman
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I very much hope you will enjoy looking through the site.
Eiichi Ishikawa
2/23/2018

小話「少年探偵団と町村金五の巻」 - 石川栄一

2018/02/21 (Wed) 17:36:04

 私が小学生の頃は、家のそとで遊ぶことがほとんどでした。友達の種類も、同級生と近所の子供らと二種類ありました。

 同級生とは昼休みに、よく三つ並べをして遊んだものです。

 三つ並べというゲームは、石筆で地面に小さいゲーム板を描き、小石を対面に3つづつ並べて、相手と交互に動かし、自分の石3つを先に相手側の石の場所3カ所に並べた方が勝ちというゲームです。

 このゲームは石筆(なければ石コロで地面にマーキングすればよい)と小石があれば、どこでも楽しめるゲームで、子供の遊び用具が少なかった時代では、もっともポピュラーな遊びでした。

 他の遊びは、石蹴りや縄跳び、三角ベース、かくれんぼや缶蹴り、鬼ごっこや汽車ぽっぽごっこ、ビー玉やパッチなど、日が暮れるまで、外遊びを楽しみました。家に帰るのは夕食のためです。

 自慢ではありませんが、家で勉強した記憶はありません。宿題もなかったように思います。あったとしても、宿題をやったという記憶はありませんね。
 夏休み帳や冬休み帳はあったのですが、学校が始まる2~3日前にまとめてやったと思います。

 夏休みや冬休みで思い出すのは「肝油ドロップ」です。ビタミンやカルシウムを補うために担任に勧められて買ったのですが、一日一個しか食べられないのに、おやつ代わりに食べてしまい数日でなくなりました。
 夏休みや冬休みには「肝油」が沢山食べられるので楽しみでした。

 自由研究は楽しかったですね。
 小学4年生の時、札幌円山公園で蝉の幼虫を沢山捕ってきて「蝉の変態」を数枚の絵に時系列で描いて提出したら、担任の女性教師から「栄ちゃん、ほんとにこうなるの」と聞かれた時、私は「先生でも知らないことがあるんだ」と多少の優越感に浸りました。

 いままでの通信簿の成績が、ほとんどの教科で3と2でしたが、理科と図工(図画工作)と音楽が二階級特進で5に上がりました。メデタシメデタシ。

 「蝉の変態」と音楽は全く関係ありませんが、担任の女性教師は音楽の先生でもあったので、評価5の枠(五人程度)の中に適当な生徒がいなかったので、私を入れてくれたのでしょう、と思いました。こういうのを、当時「先生のメンコ」と呼んでいました。

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■ 蝉の変態 Cicada's transformation(YouTube)
 https://www.youtube.com/watch?v=cqJJN9bOaOc
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 さて、少年探偵団のお話です。
 『少年探偵団』とは、テレビや映画でおなじみの江戸川乱歩の明智小五郎シリーズに登場する探偵団です。『少年探偵団』が初めて登場したのは1936年、『少年倶楽部』に掲載された小説、『怪人二十面相』からです。
 
 私たちがやったのは「少年探偵団ごっこ」です。
 団長は、同級生の佐藤健治君(現在、町村信孝事務所顧問)です。彼の父親は、北海道警察の警視で、官舎には鎧と甲がありました。男ばかりが大勢いて大家族だったように記憶しています。

 ある日、佐藤団長から「家の側に怪しいおばさんがいるから様子を探れ」という指令がありました。

 私は、そのおばさん(といっても若いお姉さん)の回りをクルクル回りながら様子を探っていると気づかれてしまい、おばさんのほうが、私をへんな子供という目で見ていましたね。
 
 「少年探偵団ごっこ」団長の佐藤健治君は、町村信孝衆議院議員が亡くなるまで、公設第一秘書と町村事務所の所長を兼任していましたね。

 10年ほど前、クラス会の案内をかねて、町村事務所に挨拶に行ったことがあるのですが、さっぱりとした事務所で、安倍総理のポスターなど全くなく、 町村信孝議員の「保守本流」というポスターばかり貼ってありました。

 彼の小学校時代は頭が良く、学級委員長も務めていましたね。ただですね。当時、彼が笑った顔を一度も見たことがありません。いまは、当然ですが、支持者に会う度に笑顔で対応しています。

 故・町村信孝議員の父親は、みなさんよくご存じの町村金五・元北海道知事です。私の大叔母(全久寺住職の妻と姉妹)が町村金五後援会の役員をしていたため、社会党支持の私の父親とは話がかみ合わなかったですね。

 しかし、大叔母がいなければ父は結婚できず、私自身も存在しなかったはずです。といいますのは、父は大叔母の仲立ちで、結婚できたからです。

 大叔母は産婆の仕事をしており、先日お話しした、前田清一北大経理部長の娘らの取り上げ親なのです。

 大叔母は、前田の妻から「弟(私の父)の嫁を探してほしい」と頼まれ、まだ19歳の母とお見合いし、結婚する運び(嫁入り写真参照)になったというわけです。翌年、私が産まれます。大叔母は、私の取り上げ親なのです。
 
 私も高校生の頃、大叔母から「町村金五事務所の女性事務員のテレビを直しに行って欲しい」と頼まれたことがあります。

 町村金五知事の女性事務員だから、活発で陽気だろうなと思っていました。ところが寂しげで、部屋は6畳一間で薄暗く、テレビの隣に小さな机があり、その上に位牌があり、非常にわびしく感じました。それでも、テレビが直った時、事務員から笑顔がこぼれました。

 大叔母は町村金五知事の後援会員でしたが、それ以前は、社会党の田中敏文北海道知事の後援会員だったそうです。それが生きがいだったようですね。

 大叔母は80歳の頃、認知症を患い、老人病院に入院しましたが、2年後に亡くなりました。

 見舞いに行くたびに徐々に記憶がなくなっていき、最後は私の名前も忘れてしまいましたが、大叔母の「この人は大学関係の人だ。」という言葉が今でも耳に焼き付いています。

 「大学関係の人」とは、私のことなのか、それとも前田の叔父のことなのか、おそらく大叔母の目には、同じように映っていたのかも知れません。
 
 親族の絆は、いくら主義主張が異なっても、なかなか切れないものですね。

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小話「少年探偵団と町村金五の巻」おわり
2018/02/21 17:32 石川栄一
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写真をクリックすると拡大します。(白黒写真をカラー化)

Macintosh版の春香山スキーと北の峰スキー - 石川栄一

2018/02/20 (Tue) 05:53:27

Macintoshをご利用の方はこちらへ

■【春香山スキーツアー】
 QuickTimeムービー
http://www.geocities.jp/sincerity_2016/Haruka_x264.mov

■【北の峰スキー】
 QuickTimeムービー
http://www.geocities.jp/sincerity_2016/KItanomine128_x264.mov

【QuickTimeムービー動画ファイルネーム】
 ・春香山スキーツアー Haruka_x264.mov
 ・北の峰スキー    KItanomine128_x264.mov

 ※ 動画がうまく再生できない方はご連絡下さい。
 ※ Windowsマシンの場合は、64ビット版で、主記憶メモリー容量は
   8GB以上をお勧めします。

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【 Film making 】Eiichi Ishikawa
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 2018/02/20 5:35

秀岳会「思い出の北の峰スキー」 - 石川栄一

2018/02/19 (Mon) 00:30:55

思い出の北の峰スキー
【主催】北大秀岳会
「1970年3月21日~22日」
(音声、映像は当時48年前のものです)

【参加者】(敬称略)
 今野平支郎 鳥海郁夫 小川剛
 福原彊 土田恭照 石川栄一
 斎藤晶子 岩田昌子 是安 左近
 内野麗子 由良節子 ほか二名(氏名が思い出せない)

 平昌オリンピック、日本選手が大活躍していますね。
 私もあと50歳若かったらオリンピックに出られたかも知れませんね。参加することに意義がある。

 さて、懐かしい秀岳会メンバーが大勢参加した思い出の「北の峰スキー」の8ミリフィルム(W8規格のため低解像度)をワイドバージョンに再編集しました。
 私がまだ22歳の時のナレーションですので、不慣れでぎこちないです。是非、ご視聴下さい。

■【思い出の北の峰スキー】ワイドバーション
( 秀岳会ホームページ)
 http://shugakukai.yp2e-iskw.waterblue.ws/
【ブラウザはInternet Explorerでご視聴下さい】

■ Microsoft Edgeをお使いの方はこちらへ
【思い出の北の峰スキー】ワイドバーション
 https://1drv.ms/v/s!Avc5nztiIgNwhcwwaTC0sCGGl8A4wA

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【参考】Microsoft EdgeからInternet Explorerへの切り替え方法
 メニュー右端の[…]設定をクリックし[ Internet Explorerで開く ]を選択する。
 ※ Microsoft EdgeはWindows10のブラウザーです。

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【 Film making 】Eiichi Ishikawa
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2018/02/19 0:30

小話「美知子とみち子と通子の巻」 - 石川栄一

2018/02/16 (Fri) 15:44:23

 平昌オリンピック、ようやくメダルが取れましたね。しかし金がゼロでは男になれませんね。

 さて今回は、私の親族の「みちこ」(敬称略)のお話です。
 美智子という名前は、美智子妃殿下(正田美智子)のミッチーブームの頃、多かったそうですが、私の親族の名は、皆ミッチーブーム以前の「みちこ」です。

 まず、私が初めて「美知子」と出会ったのは、0歳の頃からです。
 石狩当別に、親戚で曹洞宗(禅寺)の全久寺があります。その寺は、母の叔母の家で、寺の娘の美知子と私の関係は、ひとつ違いの又従兄弟に当たります。

 物心が付く3歳くらいになると、遊びに行くたびに、美知子はあらゆる部屋に私を誘ってくれて、寺の中をはしゃぎ回りました。そこで二人は男女の関係になったわけです。
【全久寺(当別)ホームページ】
 http://zenkyuji.jp/

 それから20年が経過し、寺の美知子はプロ野球(当時の東映のエースで2桁勝利)の選手と結婚しました。

 ところが、夫の金遣いが荒く、300万円以上あった持参金も全部ギャンブルなどに使われてしまったそうです。あげくに、野球賭博(黒い霧事件)で永久追放となってしまいました。

 そういえば、私の妻「道子」の持参金は100万円以上(妻主張)ということですが、結婚してから半年で、旅行や外食などで、煙の如く消えてしまいましたね。

 次は、前田の「みち子」の話です。
 前田みち子は、前田清一元・北大事務局経理部長(初代・旭川医大事務局長)の次女で、私の従兄弟(私の父と前田の妻が兄弟)に当たります。
 
 私が高校生の頃、前田の家族が北区の自宅の近くに住んでいたころ、みち子からトランジスタラジオの修理を頼まれました。トランジスタラジオはまだ出始めで、私も修理の経験が浅いため時間がかかりました。

 みち子との雑談の最中、私の父の出身校を聞かれたので「旧制・北海中学校です」と答えてから、そしてもう一言「姉妹校に札幌商業学校がありますが、あそこは誰でも入れますからね」と言ってしまいました。

 後から聞いた話ですが、前田の叔父は、札幌商業学校出身だったのです。

 それから間もなく、前田の叔父は弘前大学へ経理部長に昇格して栄転し、2年後に、北大に経理部長として帰ってきました。そして1973年に初代・旭川医大事務局長として赴任します。
 みち子は姉の和子と共に、藤女子大の国文科を卒業し、北大の教養部や歯学部に勤めてから結婚します。

 前田の叔父の官舎は、北大の中央ローンの直ぐ側に建っていた木造平屋の一軒家でした。私が専門学校生の頃、何回かテレビの修理に行ったことがあります。

 旭川医大を定年退職した叔父は、札幌市南区川沿に一軒家を新築。二階には掘炬燵付の「麻雀ルーム」がありました。
 こうなると、趣味を通り越して、道楽ですね。北大時代にも、部下と学内の官舎で毎日のように麻雀をしていたそうです。

 叔父の「麻雀ルーム」よりも印象的なのは、飼い犬のダックスフンドでした。玄関ドアを開けると、まず、ダックスフンドが居間から走り出てきて、お迎えです。

 しかし翌年、新年の挨拶回りの時ですが、玄関ドアを開けても、ダックスフンドは出てきません。奥の部屋から「ワンワンワン」と暗く沈んだ犬の声だけが聞こえてきます。

 叔父が言うには、老衰で寝たきりだというのです。
 人間もそうですが、犬の介護も大変のようですね。

 次も「通子(みちこ)」の話です。
 「通子」は母の弟の妻で、私が北区にいたころ、自宅の離れに住んでいました。この「通子」の従姉妹が、秀岳会の山行にも参加している元北大職員の「武田玲子」さんです。

 以前、秀岳会会員のケーシー君から武田玲子とM教授の関係について、何通も手紙が届きましたが、解読不能で事情を聞こうとしているうちに、ケーシー君がお亡くなりになったことは誠に残念に思います。
 
 私の弟の妻の名も「美知子」で、私の妻の名も「道子」です。
 秀岳会OBの田中順一さんの奥様の名も「道子」で、私の回りには「みちこ」が大勢いて、みなさん健康で元気に暮らしていらっしゃるようで、たいへん微笑ましく思います。

 このように、私の親戚・知人には「みちこ」が大勢いますが、干支の「うさぎ」も大勢います。
 まず、私の母と娘が卯年生まれ。妻の母親と妹も卯年。父の姉二人が卯年。母の弟二人の奥様も卯年。

 よく、卯年生まれの人は「上品で優しく穏やか」と言われていますが、人それぞれの個性もあり、私には、どうもそうは思えませんね。
 私から言わせて貰うなら、卯年生まれの人は「見栄っ張りで強情」というイメージしかありませんね。

 ここを読まれている方に、卯年生まれの方がいましたら、お気を悪くなさらないようにね。これは沢山の卯年の女性と関わっている私の感想です。

 ちなみに私は亥年です。
 亥年生まれは「何ごとにも熱心で勇気があり、やり遂げる」反面、「頑固で厳しい物言いになりがち」だそうです。

 さて、みなさんはどうお感じでしょうか。

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小話「美知子とみち子と通子の巻」おわり
2018/02/16 15:43 石川栄一
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写真(白黒写真をカラー化したもの)をクリックすると拡大します。

ビバッ!秀学会  - 五十嵐 得郎

2018/02/14 (Wed) 10:26:20

春香山スキーツァーの映像を楽しく拝見しました。私は秀学会会員ではありませんでしたが、この映像を見て当時参加すれば良かったと思いました。メンバの平山正治君は私の同期生(電気48期、情報MC1期)ですが、彼はこの掲示板を知っているのでしょうか?
添付した写真は、今年2月に新潟湯沢・神立スキー場で撮ったものです。

Re: ビバッ!秀学(岳)会  - 石川栄一

2018/02/14 (Wed) 10:48:52

お久しぶりです。
メッセージありがとうございます。
 平山君は、秀岳会の常連中の常連で、何回もリーダーをして頂きました。
 彼には、数年前、秀岳会ホームページの案内をしていますが、いま見ているかどうかは分かりません。見ていれば、掲示板の場所が分かります。平山君からは、毎年、年賀状を頂いています。

 応用制御では、他に、片山さんや尾田さん、田中(博敏)さん、水口さん、森さん、竹岡さんらも秀岳会の山行に参加しています。
これからも宜しくお願いします。

2018/02/14 10:45
石川栄一

小話「1964東京オリンピックと国勢調査の巻」 - 石川栄一

2018/02/12 (Mon) 14:32:05

 現在、半日以上はテレビで平昌オリンピックを見ています。しかし、12日14:29現在、日本はあらゆる種目でメダルはゼロ。弱いですね。日本代表選手には「ちゃんと練習しているの?」と問いたいですね。

 それにしても、民放では、韓国や北朝鮮に対する悪口雑言のオンパレード。よく恥ずかしげもなく、UHFやBSに乗せられるものですね。貴重な電波がもったいないと思います。
 
 1964年10月、東京オリンピックが開催されました。
 当時私は17歳。叔父のコネで、北海道教育庁の総務部施設課の助成係でアルバイトをしておりました。私の他にも女子大の学生アルバイトが数人おり、美人揃いでした。道庁では、容姿端麗でなければアルバイトを採用しないのかな、と思ったりもしました。

 施設課には、地方の公立高校から、校舎の増築や修繕などを陳情しに、毎日のように校長先生や教頭先生が訪れていました。
 私は、その光景を見て、施設課の職員は、校長や教頭よりもエラいのだと思いました。特に、製図室で作業をしているエラそうな技師の姿を見て憧れましたね。

 私の仕事のほとんどは、文章の校正やコピー取りでしたね。また当時は電卓もなく、計算は、ソロバンとタイガー手回し計算機で、事務室に入ると計算機の音で「ガラガラガラ、チーン」とパチンコ屋やチンドン屋でもやっているように賑やかでしたね。
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【タイガー手回し計算器の実演】(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=cQlfd7XqkrE
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 ゼロックスも無い時代で、ガリ版で原稿を作り、謄写版や輪転機で印刷しました。コピー機もまだ出始めで、ジアゾ式複写機(いわゆる青焼き)でした。

 ある日、主任が1時間以上かけて作成した原稿を持ってきて「100枚コピーして下さい」と頼まれたので、作業を始めた途端、原稿がローラーに巻き付き、一瞬にしてパーにしてしまいました。

 私は、怒られると思いましたが、そこは寛容といいましょうか、主任は、同じ原稿をまた1時間以上もかけて作り直し、今度は主任自らコピーしていました。私にやらせるとまた原稿がパーになると思ったからでしょうね。

 東京オリンピック開会式の前日(10月9日)、係長から「課長の家のテレビ修理に行ってくれませんか」とお願い(命令)されました。当時、土曜日は半ドンで、午後から修理に行くことにしました。

 そして、開会式の当日、係長は私が家に帰ってしまうんでないかとビクビクしているようでした。

 いちいち「石川君もう帰っちゃうの」と聞いたり、そんなに私が信用できないのなら、電気屋に頼めば良いのに、とは思いませんでしたが、係長の態度が、17歳の私でも気にくわなかったですね。

 10月10日(土曜日)の午後、課長の官舎まで、工具とパーツを持った私を運転手付の公用車で送ってくれました。当時はなんとも思いませんでしたが、今思えばテレビ修理のために公用車を使うのは、なんだか変ですね。

 課長の官舎だから、さぞかし広い家なんだと思いきや、居間は6畳間で、そこに家族全員がいらしたので、すごく狭く感じましたね。

 故障の症状は、ラスター(白い画面)が出ない。画面は真っ暗。
 修理の方は、水平出力管(6BQ6)を交換して完了。
 所要時間は約5分でした。6BQ6は高価な球で、当時1本、1000円位だったと思います。
 私は真空管代のみを頂いて、帰りました。

 道庁職員の寛容さといえば、勤務時間中でもテレビでオリンピック中継を見ていましたね。まあこれは寛容というよりも、単なるサボりでしょうね。

 特に、東京オリンピック、柔道の無差別級のヘーシンクと神永昭夫の試合。「東洋の魔女(日本)VS ソ連」女子バレーなど、事務室はその話題で盛り上がっていました。

 東京オリンピックが終わった1964年10月下旬の夕方、道庁前の広場で、学生の団体が集会をしていました。警察は解散を呼びかけていましたが、学生は反発して集会を決行しました。
 私はそれを見て、警察に逆らうとは、とんでもない連中だと思いました。
 
「国勢調査」
 東京オリンピックの翌年、1965年に国勢調査がありました。今回も叔父のコネで国勢調査のアルバイトをすることになりました。

 当時、北海道庁の国勢調査の本部である企画部は、中島公園の池の畔にありました。12月も下旬だったので、公園の池は、良いスケートリンクになっており、若い職員は昼休みスケートを楽しんでいました。

 1月に入ってから、若くて可愛い女の子(当時、アイドルだった由美かおるにそっくりな女性)がアルバイトとして採用され、私と同じ係で仕事をすることになったのです。

 国勢調査の調査票は、各市町村から企画部に集められました。
 私達はそこで、必要事項が、調査票にきちんと記入されているかを確認し、誤記やマークシートなどを修正後、段ボール箱に詰め、総理府統計局(当時)に送る準備をしました。

 箱詰めされた調査票は、段ボール箱で数百個にもなり、倉庫の中に高く積み上げられました。最後は、荷札に差出人である「北海道庁企画部の住所のゴム印」を押す仕事でした。

 1日がかりで、私と女の子で荷札にゴム印を押して、ようやく終わった頃、主任が、深刻な顔をしながらやってきて、私たちに、ゴム印に誤りがあると言うのです。

 そこで私は、ゴム印を押した荷札をよ~く見ると、差出人の都道府県名が「北海道」ではなく「北道道」となっていたのです。
 私と女の子は呆気にとられました。

 主任は「何百枚もゴム印を押していて、何故気が付かなかったの?」と言いましたが、私は「まさか、ゴム印の都道府県名が間違っているとは知りませんでした」と答えるしかありませんでした。

 そして私は「ゴム印を押し直しますか」と聞きましたが、主任は「ゴム印を作り直さなければならないため、もう締め切りに間に合わないから良いです」と残念そうに言い残して自分の席に戻って行きました。

 後から聞いた話ですが、都道府県名が「北道道」になっていても、総理府統計局に問題なく届いたようです。そもそも、これは誰の責任なんでしょうね。-------------------------------------------
 1.ゴム印を発注した主任の責任か?
 2.ゴム印を造ったハンコ屋の責任か?
 3.ゴム印を押した私と女の子の責任か?
  ....それは今でも疑問です。
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 やがて、冬休みも終わり、アルバイトの女の子とも別れなければならなかったので、多少残念でした。

 藤の女子大生もアルバイトに来ていたのですが、その子の昼食は、な、なんと牛乳1本でしたね。これでは、まともに仕事が出来ないだろうと思いました。
 また、その女子大生から「可愛い女の子と別れて寂しいでしょ?」などと、言われ、からかわれました。

 道庁で、アルバイトをしていて驚いたのは、どこかの宝石商のおばさんが、職員が勤務中であるなしに関わらず、堂々と事務室に入ってきて、宝石のセールスをしていたことでした。やはりここでも道庁職員は、寛容だったんですね。

 1965年の国勢調査によると、当時の札幌市の人口は約80万人でしたが、それから半世紀以上が経過した現在、人口はその倍以上の190万人を突破しました。これは、1965年当時から110万人以上も人口が増えたことになります。

 北海道では過疎化が進み、道民の多くは、生活に便利な札幌経済圏に集中しています。
 統計学者の調査によりますと、今後、20年以内に、道民の70%以上は、札幌経済圏に集中し、また、その70%以上が65歳以上の高齢者になるとのことです。

 札幌市は将来、人口200万人の「巨大老人都市」になるようですね。私もその中の一人になりました。
 
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小話「1964東京オリンピックと国勢調査の巻」おわり
2018/02/12 14:29 石川栄一
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写真をクリックすると拡大します。

秀岳会「思い出の春香山スキーツアー」 - 石川栄一

2018/02/10 (Sat) 23:13:55

思い出の春香山スキーツアー
【主催】北大秀岳会
「1974年2月23日~24日」
(音声、映像は当時のものです)

平昌オリンピック始まりましたね。
秀岳会もオリンピックを目指して?練習に励みました。
懐かしい春香山スキーツアーの8ミリフィルムをワイドバージョンに再編集しました。是非、ご視聴下さい。

■参加者(現地集合を含む)敬称略
土田恭照(L) 土田猛(SL) 多田俊一郎 本間彰 石川栄一
奥谷(院生) 田中(裕子さんの夫) 真壁正孝 平山正治(院生)

■【思い出の春香山スキーツアー】ワイドバーション
( 秀岳会ホームページ)
 http://shugakukai.yp2e-iskw.waterblue.ws/
 ダブルクリックで全画面です。【Internet Explorerでご視聴下さい】

■Microsoft Edgeをお使いの方はこちらへ
【思い出の春香山スキーツアー】ワイドバーション
https://onedrive.live.com/?authkey=%21AEiX%5FlaHiGDIMUk&cid=700322623B9F39F7&id=700322623B9F39F7%2191687&parId=700322623B9F39F7%2118891&o=OneUp

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【 Film making 】Eiichi Ishikawa
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<★祝★平昌オリンピック開幕!> - 石川栄一

2018/02/09 (Fri) 21:03:30

【廃界遺産】
■アテネ ■アトランタ ■北京 ■サラエボ ■ベルリンほか、
 東京も他人事ではありません。

<廃墟となった「五輪施設」の無残な姿>
 オリンピック施設が荒れ果てるとどうなるのか……。それでは早速、巨額が投資された「無用の産物」をご覧いただきましょう。

<オリンピック跡地の光と影>
http://www.geocities.jp/mmkan2004/MORI.html#Ruins
[ BGM: Synthesizer ] Eiichi Ishikawa.

小話「教授と女性と樽前山登山の巻」 - 石川栄一

2018/02/07 (Wed) 19:18:57

 工学部に勤務しはじめた当初、まだ20歳だった私の第一印象は「教授は凄く偉いんだな」という感想でした。と言うのは、助手に連れられて、各講座の教授室に新任の挨拶回りをするのですが、順番があるというのです。

 私は、挨拶をするのに順番があるというのは初めての体験ですが、助手は「教授間にも先輩後輩といった師弟関係があり、先輩の教授室から行く」といいます。

 教授室は偉い順番から並んでいるわけでもないので、あっちに行ったり、こっちに来たりで、なんだかんだで挨拶回りに半日を費やしました。
 もっと昔は、教授と一般職員の玄関が別だったり、職員とは同席しないという教授もいたそうです。

 ある日、教務掛の女子職員から私の部屋に「そちらに田川遼三郎いますか」と電話がかかってきたのですが、私は「教授を呼び捨てにするのは失礼でしょ」というと、女子職員は「教授様いますか」と「様」付けに変わりました。

 私は馬鹿にされていると感じ、直ぐさま電話を切ったわけですが、それほど「教授は凄く偉いんだな」と信じていたわけです。

 第二の印象は、女子職員のプライドが高いことでした。私のような技術職員には目もくれず、「本命」どころか「ストッパー」にもなれず、ぜいぜい「踏み台」が限界でしたね。

 私の従姉妹も数人、北大に非常勤職員として勤めていましたが、やはり例外に漏れずプライドが高かった、といいましょうか、高くなっちゃいましたね。

 私の従姉妹には女性が多く、子供の頃はよく「大きくなったら栄ちゃんのお嫁さんになる」と言われてきたのですが(冗談でも嬉しいですね)、藤女子大の英文科や国文科を出て、箔が付いたせいか「昔はあんな女の子じゃなかった」と言いたくなりましたね。

 かといっても、彼女たちの都合の良い時には、今でもお呼びがかかります。
 工学部にも一人、私の従姉妹(伊藤勝子・子供の頃から勝子ちゃんと呼んでいる)が勤めていましたが、おそらく秀岳会のOBの皆さんの中にも、工学部図書室で彼女に会ったことがあると思います。(今は某高専の教授と結婚して名字が変わりました)

 また、いつも「銀色の靴」を履いて、ツンツンしている女子職員もいましたね。研究室の大学院生はその女性を「クレオパトラ」と呼んでいました。
 大学院生と申しましても、皆、私よりも年上でしたから、いっしょになって楽しく過ごしました。
 大学院生の中には、JR北海道の会長にまで上り詰めた柿沼博彦さんもいました。今でも同窓会で会っています。
【紹介記事】
http://www.sankeibiz.jp/business/news/150620/bsd1506200500015-n1.htm

 柿沼さんは、正義感の強い人で、いつも私の味方になってくれたので、その後の活動に自信が付きました。

 さて、私が組合に加入してから一年後の昭和44年8月、工学部の書記局に秀岳会主催の「樽前山登山・シシャモナイコース」(昭和44年8月31日)のポスターが貼ってありました。

 私は、子供の頃の藻岩山や八十八カ所登山、そして手稲山程度の登山経験しかないため興味が湧き、また8ミリカメラを買ったばかりで、試し撮りもしてみたかったため参加しました。

 当日は朝からどんよりとした雨模様でした。苔の洞門入り口のガレ場をよじ登り、苔で覆われた渓谷の中を数百メートル歩くと、やがて樽前山の稜線が見えてきます。

 そこを一気に尾根に向かって登るわけですが、だんだん雨と風とガスが激しくなり、前が見えにくくなってきましたが、リーダーの宮森さんは、どういうわけか溶岩ドームの方に行こうとするのです。

 そこで私は「尾根に沿っていった方が良いんじゃないの」というと、宮森さんは、不満げに尾根の方に方向を変えましたが、おそらく溶岩ドームを見たかったんでしょうね。何も見えないのに。

 山頂に近づくと更に風が強くなり、立っていられないほどの突風が吹いた時、突然、由良さん(可愛い女性)が安定性のある私に抱きついてきました。
 私は「秀岳会の山行に参加すると、こんなメリットがあるのかぁ、不快指数ゼロ!」ラッキーでした。

 私たちは山頂付近の待避所に避難し、雨が少し収まってから7合目のヒュッテまで下山しましたが、またピンチ!。今度は定期バスが不通だというのです。

 そこで、サブリーダーの小川さんが、荷物を配達に来たトラックの運転手と交渉し、10名全員が荷台に乗って、支笏湖畔のバスターミナルまで送って貰いました。メデタシメデタシ!

 小川さんと私は、この山行を切っ掛けに、その後、彼が亡くなるまでの46年間に渡り、北工会レコード鑑賞会の運営や、視覚障害者用PCのサポート等において、長い付き合いになるのです。

そのお話は、後日述べたいと思います。お楽しみに。

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小話「教授と女性と樽前山登山の巻」おわり
2018/02/07 19:15 石川栄一
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<樽前山登山>
 リーダー宮森、サブの小川さん、ヤッチ、加代ちゃん、郁ちゃん、英二君、岩さん、堀さん、由良さんそして私、皆、若かったですね。
https://onedrive.live.com/?id=700322623B9F39F7%2187882&cid=700322623B9F39F7
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